2012年12月22日

「乗っ取り」 は起こっていない

  2〜3のブログ記事に山田が教会を“奪い取った”とか、“乗っ取った”などと書かれた文章があるがそのような事実はない。間違った発言をする人の理由の一つに鳴尾教会は「アッセンブリー教団の持ち物(教団所有財産)」だからと言うのである。

 そして、なぜ「教会が教団の所有財産」と言えるのかというと、「教団に属する牧師に転属(牧師の移動)がある」からだと、別な言い方をするならば、牧師の移動があるのは「教会が教団のもの」だからこそ起こるという考えからだそうだ。

 この考えは、アッセンブリー教団並びに当鳴尾教会に関して言うならば、間違っている。


以下に「乗っ取りは起こってない」ということに関する理由を記したい。

1.当鳴尾教会は、アッセンブリー教団の財産によって設立されたものではない。

 鳴尾キリスト福音教会は、今から約60年前の1954年に、一人の女性宣教師によって単立の教会から始まった。祈りの中で土地を探し、現在の地が与えられる中、最初の教会建設は、この女性宣教師の財産ともう一家族の宣教師並びにアメリカの信徒の献金によってなされた。その後、信徒が増えていき、牧師館や宣教師館が増築され、教会堂として整えられてきたという歴史がある。

 その後、鳴尾の地から更に広く宣教活動をするために、専任の日本人牧師が必要とのことで、教会内部で検討がされた。当時、既にアッセンブリー教団の教職が説教などの応援をしていたという経緯もあり、1961年に日本アッセンブリー教団に加入申請を行い、翌1962年(昭和37年)に教団加入が認められた。

 そして、教団加入により派遣されたのが前任牧師の津村昭二郎氏である。以後40年に渡り、鳴尾教会はこの牧師と共に歩んできたのである。その間、隣家の火事で会堂が類焼するという経験を経るが、経済的に恵まれていた鳴尾教会は、教団に多くの献金を捧げた記録はあるが、教団より経済的援助をされた記録はない。(阪神大震災のときは別であるが、この時は、建物は守られ、関西地区の拠点として教会が使用された。)また、多少のお手伝いはあったであろうが、教団主体の伝道協力を受けて立てられた教会でもない。


2.アッセンブリー教団の規則には、「教団加入に際し、財産が教団に移行する」という条項はないし、財産目録にも教団財産として記録されていない。  鳴尾教会は「被包括」というだけである。

 よって、鳴尾キリスト福音教会は、アッセンブリー教団の財産ではない。


3.教団離脱を決議した信徒総会は平和に行われていた。

 村上密氏や教団理事会の正しくない情報によって、山田が教会を奪い取ったとか乗っ取ったとか、様々な誹謗中傷を言う人がいる。その発端となったのは、裁判を起こそうと導いた人か、裁判を起こした人の中に偽りを言う人がいたと考えられる。

 裁判の中で教団離脱反対信者がどのような偽りの訴えをしてきたのかはこのブログにすでに記しているが、0彼らの裁判所への訴えを改めて記すならば、総会は「その場で突然提案され、また、何故に被包括関係廃止に至ったのかの説明もなく、更に、包括教団(日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団)を一方的に非難する発言がなされ(後に事実に反している事が判明した)、そのうえ、直ちに採決がとられたため、やむなく反対し得なかった。(詳細がわからないまま半ば強制的に採決を強行されたものである)」というのであった。

 しかし、この訴えは山田が裁判の証拠として提出した総会当日の録音によって、偽りであったことが判明している。総会は平和に行われていた。 突然の提案であったかもしれないが、当日の朝には議案書が手渡され、総会開始前にはその内容が伝えられていた。また、教団からの離脱を余儀なくされた経緯も話された。そこには教団を一方的に非難する発言もなかったし、議案の内容(規則がどのように変更されるのかの)確認や質疑応答の時間も十分に取られ、訴えにあるような「直ちに採決」などということはなかったのである。

 どうしてこのような、通常では考えられないくらいの「偽りの訴え」がなされたのか。それは、そのように導いた誰かがいたからであろうし、訴えれば山田や責任役員は驚き焦って、結果、自分たちの思い通りになるだろうと考えた人がいたからであろう。裁判に訴えるのではなく、冷静に話し合いをすれば、大事にもならず、傷つくことも少なかったはずである。


4.アッセンブリー教団の理事会並びに教団監事は、偽った解釈をして責めてきた。
  *教団監事は、法人の「経理・財産」並びに「代表役員の業務の状況」を監査する立場
   (教団規則第29条)
  2009年5月30日に「鳴尾キリスト福音教会 臨時総会 成立要件調査 及び 経緯説明会」なるものが市民会館にて行なわれた。これは、教団理事会と教団監事が、鳴尾教会役員会との話し合いをせず、秘密裏に信徒に案内が出されて開催されたものである。しかもこの案内状は「教会住所録の無断使用」並びに「使用用途を逸脱した」形で用いられ、未信者や小学生、幼稚園児にまで発送され、教会役員には説明会当日に送達するように投函がずらされていた。(消印より判明)

  この案内状の中で理事会及び監事は「もし、この教団離脱の届け出が正当なものであるならば、教団はそれを認めることは当然なことであります。しかし、宗教法人法に照らして違反するもの、或いは虚偽のものであるならば教団理事会は、教団及び当該教会の財産保全上の観点から、代表役員である山田博師に対して法的な対応をしなければなりません。・・・・理事会及び監事としては、教団財産保全及び鳴尾キリスト福音教会保全の観点から、立会い調査をすることになります。」と語った。

  教団理事会は、鳴尾教会を“教団財産”と偽って伝えている。

  鳴尾教会は、2004年に創立50周年記念として50年史を発行した。であるから、理事者は鳴尾教会の設立の歴史を知っている。その上で、上記の文面並びに山田を中傷する文面を未信者や幼稚園の子どもにまで送りつけ、教会に混乱をもたらしたのである。教団理事会と教団監事は、こちらの質問に対して「後日、回答する」との返事ばかりで、結局一切回答はなかった。間違ったことの訂正、謝罪もない。

  文部科学省に対する審査請求(県庁が教団離脱の規則を認証したことによる不服申立)が棄却の裁決となった今、案内状に記された「もし、この教団離脱の届け出が正当なものであるならば、教団はそれを認めることは当然なことであります。」という言葉通り、教団には潔よさが必要であろう。


5.アッセンブリー教団の教職の中に、当教会が宗教法人を取得した当時の役員の
  親族がいる。その教職は離脱反対信者を支える一人であるが、先日、別件で
  話をしている時に、宗教法人取得の経緯を以下のように語った。

「鳴尾純福音教会(筆者挿入:名称変更前の教会名)の宗教法人は、独立宗教法人なんですよ。ですから、出ようと思えば出られるの。うちの父が、ああいう手続きをしたんですから。それは、なぜかと言うとね。アッセンブリー教団に加入したときに、やっぱり教団自体というものを宣教師はよく分からなかったんで、60年も昔ね。で、もしアッセンブリー教団という自体があまり信頼できないといったら、いつでも出られるようにということで、宗教法人を取ったんです。」


 今のアッセンブリー教団は、文部科学省の審査請求の棄却裁決及び、離脱反対信者が提起した裁判の棄却判決を無視し、また理事会が一度も鳴尾キリスト福音教会役員会と話し合いをせず、推測による断罪や宗教法人法第78条の違反を犯すなど全く信頼できない状態である。宗教法人取得の経緯からしても、鳴尾教会の離脱はその意図と合致していると言えよう。

 そして、離脱反対信者が偽りの内容で提起した裁判の棄却判決からしても、鳴尾教会は会員の意思により離脱をしたのであって、乗っ取りは起こっていない。

 離脱反対信者は村上密氏並びに理事者によって導かれて、個人の意思により当教会に来ることを辞め、教団から新たに派遣された教師によって、個人宅で礼拝を捧げている。それは、鳴尾教会が乗っ取られたからではない。


 そもそも、当教会は宗教法人を持っており、絶対に個人のものとはならない。宗教法人規則によって個人のものとすることが出来ないからである。



 鳴尾キリスト福音教会については以下をご覧いただきたい。

 鳴尾キリスト福音教会 http://www.naruogospel.com/
 
 人生で悩んだ時に読む言葉 https://naruo-gospel.com/



posted by Naruo at 00:18| 日記 | 更新情報をチェックする

2012年12月20日

当教会に関係する村上密氏の発言(3)

 また、村上密氏がおかしな発言をしている。2012年11月22日「牧会倫理規定違反」である。

「ある人が私に対して牧会倫理規定を破っていると発言しています。それは思い込みの発言であって、事実とは違います。・・・腹立ちまぎれに違反していない私に対して牧会倫理規定違反しているとブログに書いている人がいます。」


 村上密氏の言う「事実」とは何か?
 “私は他教会(鳴尾キリスト福音教会)の信徒に干渉したが、教団は問題にしないので違反ではない”と言うことであろう。それは詭弁である。


 私(山田博)は、村上密氏が信徒宅へ車で来た時の写真を持っている。それはとても偶然としか言えないが、私が何かの用事でその信徒宅をたまたま通った時に、村上密氏が車で信徒宅に入って行った、それを撮った時のものである。ナンバープレート「京都77ま ●4−2●」であった。


 私が「村上密氏は牧会倫理規定違反を犯した」と言うのは、まさにこの“干渉した事実”に立っているからである。さらに、村上密氏は「関西教区には紳士協定があり、それはお互いの教会のことに干渉しないこと」と語っているが、その点でも村上密氏は紳士協定に違反をしている。これでも村上密氏は干渉していないというのか?


 村上密氏は「規定は規定を作っている団体が違反を認定することであって、他人ではありません。」と言う。確かにそうであろう。しかし、今回の場合は、教団理事者(教会の上部団体)も牧会倫理違反を犯した仲間である。教団理事会は当鳴尾教会役員会に許可なく、話し合いもなく、勝手に信徒に干渉したのである。そのことは当鳴尾教会のブログを見ればお分かりの事と思う。違反をした、言わば異常な状態の中にある上部団体が、同じ違反をしている村上密氏に対し、違反を決議するわけが無い。(ちなみに、関西教区からの指摘についても語られているが、私は関西教区から「牧会倫理規定違反」を指摘されたことは無いし、文章も無い。)


  違反を実際にしていながら、法律には触れていないので違反ではないというのはダブルスタンダードである。それは不誠実の極みである。それを「腹立ちまぎれ」にブログで書いていると言い切れる村上密氏は、反論された「腹立ち紛れ」か、やはりデマを語るしかないのか、あるいは論理が壊れていると言わざるを得ない。


  さて、「推測と断定、そして断罪を繰り返す」村上密氏の文章の反論。

 前回の2012年4月30日の記事「乗っ取り」に対する第3回目の反論を記す。


 第3回目の反論は 
「(1)山田はドイツのキリスト教異端について、村上密氏の理解する容認はしていない。」である。


 村上密氏は2012年10月17日「鳴尾キリスト福音教会」の記事で「キリスト教の異端であるシュタイナーを容認する牧師夫婦ですから、教理的な問題を抱えています。今まで、牧師夫婦は一人称でシュタイナーを否定する発言をしたことがありません。」と語った。

 ここではっきりとしたいが、「シュタイナーを否定する発言を(今まで)したことが無い。」との認識は、今や村上密氏だけである。


 先日、山田に対する教団の対応が発表された。(この件については後日、取上げる。)この教団からの処分とその内容を見ると「シュタイナー」についての明確な言及は無い。これは、教団が村上密氏の言う“シュタイナー容認”はないと判断したからである。

  この“シュタイナー容認”問題。そもそもこの「容認」と言う言葉が出ていたのは、2007年6月に、名張教会の担任教師である津島氏の代理人と称する村上密氏が、理事会に対して山田の「(教師)解任請求書」を提出したことに端を発する。

  この解任請求書は、山田の前任地(名張)の信徒が、名張教会の担任教師(津島氏)とそりが合わず「教会を辞めてきた。キリスト教も辞めたい」と山田に相談して来た事を受けて、その方の信仰回復のためにフォローしたことを『牧会倫理規定違反』だとし、更には、山田が『シュタイナー教育の踊りを教えていた』と【信徒の偽りの証言】を真に受けて、教師解任だと主張した内容であった。(後に、理事会はシュタイナーの踊りを教えていたというのは誤解に基づくものと結論付けたが、村上密氏は証言に偽りがあった事に気づきながらも、その【嘘を容認】し、名張教会の担任教師津島氏が納得できないという理由から、山田を教師解任に追い込むまで責めてきたのである。)ここでも名張の信徒が偽りを言うのである。
 
 この(教師)解任請求に対して山田は、村上密氏からの「シュタイナー容認の事実」に対する弁明書を2007年9月に教団理事会に提出した。


その文書の中でこう語った。
「私は、シュタイナーの思想だけでなく、世にあるキリスト教以外の宗教や思想の存在を認めています。存在を認め許すこと、それは容認と言えるかもしれません。キリスト教以外の宗教や思想のすべてを世から廃絶することはとても出来ないし、常に「○○はOK、××はだめ」のような強硬な姿勢でいると、中にはそれを大切に思っている人もいるでしょうから、その人の周囲は争いが絶えなくなると思います。

 自分と違う考え方をする多くの人たちと、出来るだけ、平和に過ごすことも大切なことだと思います。私が、シュタイナー思想の存在を認めると言ったからと言って、そのすべてがキリスト者の信仰を建て上げるのに有益であるなどとは考えていません。けれども「○○はOK、××はダメ」の発想をしている方たちから見ると、幅広く、様々な考え方に触れることは、危険だとか、それを容認しているかのように思われるのかもしれませんが、決してそうではありません。重ねて申しますが、シュタイナーの教育思想やその他の異端的信仰をわざわざ用いて、正統的なキリスト教信仰を培うことができるなどとは全く考えていません。」

要するに、
「世の中に存在していることを単に認めているだけ【容認せざるを得ないだろうと言っているだけ】のことであって、シュタイナーの教育思想を信じているとか、それで教会を建て上げよう、キリスト教信仰を培おうと考えていない」と言うことである。

  村上密氏は、“シュタイナー容認”というこの「容認」を、“山田はシュタイナーを救いの道と信じている”と【思い込ませよう】とし、更には、“シュタイナー信奉者”に仕立てようと、2009年2月2日付けで文書を教団教職や鳴尾教会の信徒に文書を配布し、デマを拡散した。 この文書には添付資料としてシュタイナーの書籍からの印刷物が同封してあり、山田はこういう教理を信じているのだと言わんばかりの内容であった。ここまで来るともうめちゃくちゃである。

 教師検定委員の教師でもない村上密氏が、証拠も無しに一教師を異端者扱いするのは越権行為であるし、名誉毀損に類する誹謗中傷である。山田が、いつシュタイナーを信じていると発言し、教会の中で教えたのか? 前任地でも、鳴尾でも一度たりとしてシュタイナーの「シュ」の字を語ったことはない。当然、教団離脱反対信者も聞いていない。


  私たちは「救いはイエス・キリストしかない。シュタイナーにはない」と信じている。だからシュタイナーを語る必要がない。よって、村上密氏が山田に対して語る「シュタイナー」うんぬんの文章はデマである。


 ある人は、「山田はシュタイナー教育を志す者に関わった」とか、「洗礼を授けた」と言って非難するかもしれない。しかし、私たちはイエス・キリストを信じる者に対して関わったのであり、「シュタイナーが救いの道である」という者に関わったのではない。現に、シュタイナー教育の幼稚園へ通う園児の母親が、シュタイナー幼稚園の(キリスト者である)経営者によって山田の前任地だった名張教会に導かれ、イエス・キリストを信じて、洗礼に導かれている。滑稽にも、洗礼を授けたのはこちらを責めてきた名張教会の担任教師である。救われた(洗礼を受けた)者が起こされたのは、神の業ではないのか?その母親はシュタイナーの幼稚園経営者と関わりがあるから救われていないのか?


  当鳴尾キリスト福音教会は、シュタイナーによって立つ教会ではない。そのことは初めから主張していることであり、当教会は伝統的「使徒信条」を信仰告白として毎週の礼拝で告白し、他教派の方々と親しく交流をし、関西・阪神地区においても親しく交流をさせて頂き、受け入れて頂いている「こんなことなら自分たちだけ出ればよかったと思う日が来るでしょう」などと語るのは、デマを語る村上密氏だけである。




 鳴尾キリスト福音教会については以下をご覧いただきたい。

 鳴尾キリスト福音教会 http://www.naruogospel.com/
 
 人生で悩んだ時に読む言葉 https://naruo-gospel.com/

posted by Naruo at 23:16| 日記 | 更新情報をチェックする
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