2012年12月20日

当教会に関係する村上密氏の発言(3)

 また、村上密氏がおかしな発言をしている。2012年11月22日「牧会倫理規定違反」である。

「ある人が私に対して牧会倫理規定を破っていると発言しています。それは思い込みの発言であって、事実とは違います。・・・腹立ちまぎれに違反していない私に対して牧会倫理規定違反しているとブログに書いている人がいます。」


 村上密氏の言う「事実」とは何か?
 “私は他教会(鳴尾キリスト福音教会)の信徒に干渉したが、教団は問題にしないので違反ではない”と言うことであろう。それは詭弁である。


 私(山田博)は、村上密氏が信徒宅へ車で来た時の写真を持っている。それはとても偶然としか言えないが、私が何かの用事でその信徒宅をたまたま通った時に、村上密氏が車で信徒宅に入って行った、それを撮った時のものである。ナンバープレート「京都77ま ●4−2●」であった。


 私が「村上密氏は牧会倫理規定違反を犯した」と言うのは、まさにこの“干渉した事実”に立っているからである。さらに、村上密氏は「関西教区には紳士協定があり、それはお互いの教会のことに干渉しないこと」と語っているが、その点でも村上密氏は紳士協定に違反をしている。これでも村上密氏は干渉していないというのか?


 村上密氏は「規定は規定を作っている団体が違反を認定することであって、他人ではありません。」と言う。確かにそうであろう。しかし、今回の場合は、教団理事者(教会の上部団体)も牧会倫理違反を犯した仲間である。教団理事会は当鳴尾教会役員会に許可なく、話し合いもなく、勝手に信徒に干渉したのである。そのことは当鳴尾教会のブログを見ればお分かりの事と思う。違反をした、言わば異常な状態の中にある上部団体が、同じ違反をしている村上密氏に対し、違反を決議するわけが無い。(ちなみに、関西教区からの指摘についても語られているが、私は関西教区から「牧会倫理規定違反」を指摘されたことは無いし、文章も無い。)


  違反を実際にしていながら、法律には触れていないので違反ではないというのはダブルスタンダードである。それは不誠実の極みである。それを「腹立ちまぎれ」にブログで書いていると言い切れる村上密氏は、反論された「腹立ち紛れ」か、やはりデマを語るしかないのか、あるいは論理が壊れていると言わざるを得ない。


  さて、「推測と断定、そして断罪を繰り返す」村上密氏の文章の反論。

 前回の2012年4月30日の記事「乗っ取り」に対する第3回目の反論を記す。


 第3回目の反論は 
「(1)山田はドイツのキリスト教異端について、村上密氏の理解する容認はしていない。」である。


 村上密氏は2012年10月17日「鳴尾キリスト福音教会」の記事で「キリスト教の異端であるシュタイナーを容認する牧師夫婦ですから、教理的な問題を抱えています。今まで、牧師夫婦は一人称でシュタイナーを否定する発言をしたことがありません。」と語った。

 ここではっきりとしたいが、「シュタイナーを否定する発言を(今まで)したことが無い。」との認識は、今や村上密氏だけである。


 先日、山田に対する教団の対応が発表された。(この件については後日、取上げる。)この教団からの処分とその内容を見ると「シュタイナー」についての明確な言及は無い。これは、教団が村上密氏の言う“シュタイナー容認”はないと判断したからである。

  この“シュタイナー容認”問題。そもそもこの「容認」と言う言葉が出ていたのは、2007年6月に、名張教会の担任教師である津島氏の代理人と称する村上密氏が、理事会に対して山田の「(教師)解任請求書」を提出したことに端を発する。

  この解任請求書は、山田の前任地(名張)の信徒が、名張教会の担任教師(津島氏)とそりが合わず「教会を辞めてきた。キリスト教も辞めたい」と山田に相談して来た事を受けて、その方の信仰回復のためにフォローしたことを『牧会倫理規定違反』だとし、更には、山田が『シュタイナー教育の踊りを教えていた』と【信徒の偽りの証言】を真に受けて、教師解任だと主張した内容であった。(後に、理事会はシュタイナーの踊りを教えていたというのは誤解に基づくものと結論付けたが、村上密氏は証言に偽りがあった事に気づきながらも、その【嘘を容認】し、名張教会の担任教師津島氏が納得できないという理由から、山田を教師解任に追い込むまで責めてきたのである。)ここでも名張の信徒が偽りを言うのである。
 
 この(教師)解任請求に対して山田は、村上密氏からの「シュタイナー容認の事実」に対する弁明書を2007年9月に教団理事会に提出した。


その文書の中でこう語った。
「私は、シュタイナーの思想だけでなく、世にあるキリスト教以外の宗教や思想の存在を認めています。存在を認め許すこと、それは容認と言えるかもしれません。キリスト教以外の宗教や思想のすべてを世から廃絶することはとても出来ないし、常に「○○はOK、××はだめ」のような強硬な姿勢でいると、中にはそれを大切に思っている人もいるでしょうから、その人の周囲は争いが絶えなくなると思います。

 自分と違う考え方をする多くの人たちと、出来るだけ、平和に過ごすことも大切なことだと思います。私が、シュタイナー思想の存在を認めると言ったからと言って、そのすべてがキリスト者の信仰を建て上げるのに有益であるなどとは考えていません。けれども「○○はOK、××はダメ」の発想をしている方たちから見ると、幅広く、様々な考え方に触れることは、危険だとか、それを容認しているかのように思われるのかもしれませんが、決してそうではありません。重ねて申しますが、シュタイナーの教育思想やその他の異端的信仰をわざわざ用いて、正統的なキリスト教信仰を培うことができるなどとは全く考えていません。」

要するに、
「世の中に存在していることを単に認めているだけ【容認せざるを得ないだろうと言っているだけ】のことであって、シュタイナーの教育思想を信じているとか、それで教会を建て上げよう、キリスト教信仰を培おうと考えていない」と言うことである。

  村上密氏は、“シュタイナー容認”というこの「容認」を、“山田はシュタイナーを救いの道と信じている”と【思い込ませよう】とし、更には、“シュタイナー信奉者”に仕立てようと、2009年2月2日付けで文書を教団教職や鳴尾教会の信徒に文書を配布し、デマを拡散した。 この文書には添付資料としてシュタイナーの書籍からの印刷物が同封してあり、山田はこういう教理を信じているのだと言わんばかりの内容であった。ここまで来るともうめちゃくちゃである。

 教師検定委員の教師でもない村上密氏が、証拠も無しに一教師を異端者扱いするのは越権行為であるし、名誉毀損に類する誹謗中傷である。山田が、いつシュタイナーを信じていると発言し、教会の中で教えたのか? 前任地でも、鳴尾でも一度たりとしてシュタイナーの「シュ」の字を語ったことはない。当然、教団離脱反対信者も聞いていない。


  私たちは「救いはイエス・キリストしかない。シュタイナーにはない」と信じている。だからシュタイナーを語る必要がない。よって、村上密氏が山田に対して語る「シュタイナー」うんぬんの文章はデマである。


 ある人は、「山田はシュタイナー教育を志す者に関わった」とか、「洗礼を授けた」と言って非難するかもしれない。しかし、私たちはイエス・キリストを信じる者に対して関わったのであり、「シュタイナーが救いの道である」という者に関わったのではない。現に、シュタイナー教育の幼稚園へ通う園児の母親が、シュタイナー幼稚園の(キリスト者である)経営者によって山田の前任地だった名張教会に導かれ、イエス・キリストを信じて、洗礼に導かれている。滑稽にも、洗礼を授けたのはこちらを責めてきた名張教会の担任教師である。救われた(洗礼を受けた)者が起こされたのは、神の業ではないのか?その母親はシュタイナーの幼稚園経営者と関わりがあるから救われていないのか?


  当鳴尾キリスト福音教会は、シュタイナーによって立つ教会ではない。そのことは初めから主張していることであり、当教会は伝統的「使徒信条」を信仰告白として毎週の礼拝で告白し、他教派の方々と親しく交流をし、関西・阪神地区においても親しく交流をさせて頂き、受け入れて頂いている「こんなことなら自分たちだけ出ればよかったと思う日が来るでしょう」などと語るのは、デマを語る村上密氏だけである。




 鳴尾キリスト福音教会については以下をご覧いただきたい。

 鳴尾キリスト福音教会 http://www.naruogospel.com/
 
 人生で悩んだ時に読む言葉 https://naruo-gospel.com/



posted by Naruo at 23:16| 日記 | 更新情報をチェックする
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