2015年09月09日

当教会に関するアッセンブリー教団 村上密氏の発言(4)

 村上密氏がまた、当鳴尾教会に けち を付けている。(8月24日付ブログ) 昨年の同じ頃に書いていたのを思い出した。調べてみると、やはりあった。継続的に鳴尾教会(あるいは山田)を卑しめる事で、自分の気分を満足させ、自分は悪くないと主張するために改めて語ろうとしているのだろう。もはやキリストから遠くに生きている者の姿である。それにしても全くしつこい。そして、裁判で敗訴したのに見苦しい。
 今回も誤解が生じないように、以下に反論をしておく。

 1.「以前」とは「離脱した後から」という意味である。

 村上密氏は語る『「以前と変わりなく」は、鳴尾キリスト福音教会は7年半成長していないと言い換えることができる。』と。

 実に失礼で、短絡的で、浅はか、幼稚な結論の付け方である。村上密氏は教会の成長を 数 でしか見ていないようである。とするならば、アッセンブリー教団内の教会に対してもそのような目で見て、蔑んでいるのだろうか?

 鳴尾教会は教団を離脱してからも洗礼式が行われ、新しい魂も導かれている。以前にブログに書いた通りである。鳴尾教会に来た事もなく、実情も分からないのに、勝手な物言いである。

 ご自分の思い通りに山田や鳴尾教会がならなかった悔しさ(恨み)か。このように自身のブログで けち をつけ、近隣の教会と同じように礼拝や教会の営みが行われている鳴尾教会に 人々が来ないように 、 ここで救われる人が起こらないように語る村上密氏。これって村上密氏の逆恨み?あるいは心が疲れてズレているのではないか。まるで新約聖書に出てくる律法学者のようである。


2.村上密氏は信徒数に関して実情を知らずに間違って指摘している。

 村上密氏はまた「山田氏の赴任前の5年間は(1998年〜2002年)の信徒数は平均130名程、赴任後は、2003年は94名、2004年は89名、2005年は69名、2006年は69名、2007年は63名である。」と。そして「どのような牧会をするとこのような急激な信徒数の減少が起きるのだろうか。会社であるなら不利益をもたらしたとして解任である。」と語る。

ここでも“実情を知らない”「推測による断定と断罪」を繰り返す「村上密氏の言い掛かり」が語られている。改めて語っておくが、村上密氏は事実に基づく裏付け確認を怠って文章を書くので論理展開の詰めが甘い。


 今回も「信徒を減少させ教会に不利益を与えた山田」という印象を読者に与えようと勝手な事を語っているが、赴任当初の信徒数の変化は牧会の問題ではないことをまず語っておきたい。

この鳴尾教会は、私たち夫婦が2002年11月に赴任する以前、津村昭二郎氏(村上密氏の妻の父)が牧会をしていた。津村氏引退に絡み、村上密氏が介入して騒動が起こり、結局、津村氏は2002年8月に引退。3ヶ月間、教会は牧師無しの状態で進んだ後、後任として私たちが赴任した。その折に信徒名簿として渡されたファイルは、どなたが正会員であるのか、別帳会員であるのか分からなかった。(信徒名簿が整理されていなかった)

 ちなみにアッセンブリー教団では、洗礼を受けた信徒を正会員と別帳会員に分けていた。(アッセンブリー教団 教規第73条には「会員たる信徒が、1年以上住所が不明であるとき、または、1年以上教会に出席せず、且つ教会の諸経費負担その他の義務を怠ったときは、役員の議を経てこれを会員別帳に移すことができる」とされている。)

 1年と言うのは実情に合わないので、おおむね礼拝に2年ないし3年来ない方など各教会で柔軟に対応している。また、戒規などを持つ教会は、その事によって別帳会員籍の方として扱う場合もある。(戒規は「切り捨て」あるいは「除名」ではない。)

 私たちは赴任当初、村上密氏が語る「赴任前の5年間は(1998年〜2002年)の信徒数は平均130名程」に対して役員の方にお聞きしたり、訪問をして正会員が誰なのかを確認した。そして、神学生の助けを借りながら、設立当初からの信徒名簿(手書き書類)をコンピューターに記録し直し整理をしていった。
 すると「赴任前の5年間は(1998年〜2002年)の信徒数は平均130名程」というのが正確ではないことが判明した。津村昭二郎氏が信徒数を水増して報告していたのである。


 そこで、私たちは2004年に入り、役員会の承認のもと2003年度は94名と訂正し正確な牧会状況を教団に報告するに至った。

 さらに、2004年については、教会の創立50周年記念の喜ばしい時であったが、この記念の準備をする前後に、数家族が他教会へ出て行くということが起こった。発端は色々ある。当時、役員会内は津村氏引退を巡りまだ対立していた。そしてある役員を辞めさせることができないのかと失望し転籍する家族、50周年記念会に牧師である親族を招くことができないから記念会の日程をずらしてほしいと語り、役員会で決定済みなのでと語ったら結局転籍する家族、家庭集会を牧師抜きで行わないようにと語ったら出て行ってしまった家族・・・。

 しかも、鳴尾教会は信徒間で電話連絡がよく行われていた事で、連鎖的に出て行く方がおられた。これらによって2004年は89名、2005年は69名という報告がなされたのである。牧師にとってこれらの事は残念であり「痛み」である。(このような事は誰にでも話せるものではない。しかし、村上密氏のような攻撃的なブログ文章に対して仕方なく記載する。)

 このような状態の中、ご高齢の方や病ゆえに召天された方の葬儀などを経験。やっと平静を取り戻したのが2006年ごろ。しかし、すぐに村上密氏による攻撃が始まったのである。

 実情を知らずに勝手な事を村上密氏は語る。どれだけの時間を割いて、誤解を解く必要があるのか。迷惑千万である。


3.また、村上密氏のデマが語られている。

 村上密氏はまず「27名を自分たちに逆らう信徒として2007年12月13日に切り捨てて」と語っているが、ここにデマがある。


 (1)27名が、戒規ゆえの「別帳会員」になったのは「2007年」ではなく「2009年12月13日」である。よって、7年半ではなく、5年半である。(正確には、2010年1月の役員会で、正式に「戒規ゆえの別帳会員」になったのであるが。)
 
 村上密氏はブログを書くときに資料を見ずに書くのか?実にいい加減で、不誠実である。


 さらに、村上密氏は続けてこう語る。「村上密が関西教区倫理規定に反していると言っているが、私は関西教区からそのような指摘を受けたことはない。むしろ、山田夫婦が教団から教師倫理規程で処分される直前に、謝罪するポーズを取りながら時間を稼ぎ、教団を離脱した。」と。


 (2)山田も関西教区から教区倫理規定に反していると言われていない。
 私たちが問題とされたのは、村上密氏が理事会に「山田が関西教区倫理規定に違反している」と訴えたからである。関西教区から私たちは違反を指摘された事はない。

 私たちは、離脱問題が出てきた時に「村上密氏が関西教区倫理規定に違反している」と声を発した。しかし、この時すでに理事会は、私たちの声に耳を傾ける状態ではなかった。ゆえに、こちらから訴える事は出来なかった。

 たとえこちらから理事会に訴えたところで、村上密氏に対して理事会が違反を宣言することはない。なぜかならば、それは教団理事会も「同じ穴のムジナ」のような行動を取っていたからである。それゆえ、こちらの言い分が平等に扱われることはなかったのである。

 しかし、教団理事会は、この問題の発端となった当初、村上密氏が名張教会担任教師(按手礼も受け正教師となっている津島氏)の代理人として行動していることは、教団史上無かったことであり、村上密氏の代理人としての行動は認めていなかった。


 いずれにしろ、村上密氏は「指摘を受けたことはない」とだけしか語れない。なぜかならば「鳴尾教会の信徒に関わっていない」とは言えないからである。


 関西教区倫理規定は信徒の相談等について以下の通り規定している。

 ア) 教職は、他教会の信徒からの相談を受けない。但し、止むをえない場合は、直ちにその会員が所属する教会の牧師に報告する。
 イ) 教職は、他教会の信徒が集会へ出席を希望する場合、直ちに所属教会に連絡する。
 ウ) 教職は、他教会の信徒の家を原則として訪問しない。


 村上密氏の場合を考えると、

 ア) 村上密氏は鳴尾教会の信徒からの相談を受けたとき、直ちに山田に報告する義務があったがしていないし、今までしたことがない。
 イ) 村上密氏は鳴尾教会の信徒の家を訪問した。(私は村上氏が訪問した時の車を撮影した写真を持っている)

 私たちの事を関西教区倫理規定違反と言いながら、村上密氏自身が関西教区倫理規定に違反をしている。教団や教区が指摘しないから違反ではないというのは、ダブル・スタンダードであり、これは不誠実の極みである。


 ここで、もう一つの事を確認する必要がある。それは、関わった信者がどのような状態であったかということである。

 私たち夫婦は「教会を辞めてきた」(今回であれば、名張教会を辞めてきた)という信者に関わったのであるが、村上密氏は「教会を辞めていない」(鳴尾教会の)信者に関わったという点である。

 村上密氏は自身のブログ(2008年12月08日)で「退会とは自分の一存で教会を去る事」であって「退会届というタイトルに理由を書き添えて出せば(退会手続きは)終了」であり、「所属教会の了解を取る必要のない、教会籍を抹消する方法」であると記している。

 私たちが関わった信者は、2004年12月に名張教会担任教師(津島氏)と主管者、信徒の方々にメールや電話、手紙で教会を去るとの旨を伝えている。(名張教会担任教師の津島氏自身がこの信者に返信をしたメールで証言をしている)また、除籍願い(退会の意味をこめての表現)を「2005年2月末日をもって除籍して頂きたい」と記し、名張教会担任教師津島氏に3月4日付けで提出している。

 私たちが関わった信者は、私たちに相談しに来たとき(2005年1月)には書式は多少違うが、教会を辞めてきている。辞めてきた信者に関わったことが関西教区倫理規定に違反する事なのか?

 この疑問に、教団理事会をはじめ、誰も答えてはいないが、関西教区倫理規定に違反はしていないと考える方が必然的である。


 さらに、村上密氏のデマ文章が続く


 a)山田は教師倫理規定で処分されていない

 村上密氏は「山田夫婦が教団から教師倫理規定で処分される直前」と語るが、ここに村上密氏のデマがある。


 私たちが教団にいた頃は「教師倫理規定」は教団に無かった。なので、教師倫理規定で処分されていない。この「教師倫理規定」は(記憶が定かではないが)、私たちが離脱して2年位経ってから出来たものである。


 b)処分される直前に教団との対話は無かった

 村上密氏は更に「処分される直前、謝罪するポーズを取りながら時間を稼ぎ、教団を離脱した」と語るが、これもデマである。
 
 処分が伝えられたのは、辞表を提出して2年後である。処分の直前に教団との話し合いはなかったし、何を謝罪するというのか。


 もし、村上密氏の言う「教団からの処分」が臨時信徒総会の3ヶ月前(2009年1月下旬)の次点での話しで、教団理事会が山田に対して、一連の問題解決として「(山田が)鳴尾キリスト福音教会から他へ転任するか、(山田が)津島氏に償い金および謝罪をするか」を語ってきたことを示すものならば、この理事会が要求してきた事は、処分に至る経緯を教団総会議員にも秘匿し(説明責任を果たさず)要求してきたものであって、山田に瑕疵はない。

 私たち夫婦は、理事会判断を説明した担当理事者が名張教会問題でかなり困っているようだったので「償い金および謝罪」を選択した。(なぜ、担当理事が困っていたかは臨時信徒総会の5日前(3月30日)になって分かった。教団総会での事や三者合意文書のことを山田に話したら、当然、山田からの反発がある事を恐れたからである。)

 私たちは、謝罪に対して「さらに何について謝罪するのか」と質問したが、この次点で、担当理事者からの明確な違反の指摘はなく「感情的な問題だと思います」との回答で、後日謝罪の内容を知らせるとのことだった。

 しかし、2009年2月に入り、示された謝罪の内容をメールで見て驚いた。それは謝罪をする当人とは関係の無いものについて謝罪せよとの内容だったからである。私たちは「関係のないものについての謝罪をする事は出来ない」と伝え、謝罪はしなかった。それは担当理事も理解をしていた。


 私たち夫婦は当鳴尾教会役員会に「理事会からの出頭について報告」をした。そして、当教会役員は、私たち夫婦が理事者に呼ばれ「理事会判断」の内容を聞いた時、すぐさま反対の意向を示した。それは「償い金を払わない方がよい」ということ。つまり「謝罪をして、償い金を支払ったら、私たち夫婦は教団でずっとレッテルが貼られるし、また、償い金だけでなく鳴尾教会からの転任が早々に行われるに違いない」と考えたからだ。また、謝罪と償い金あるいは転任で、異端視されている問題が解決されるものなのか、とても大きな疑問が残り、なぜ謝罪を再度するのか、償い金や転任で本当に終わるのか、もう一度、担当理事に聞くことが必要との判断をした。

 それと同時に、今までの経緯を考えると、このまま教団に残る事は良い状態ではないとの判断をし、臨時信徒総会を開催して離脱をするか審議する事を役員会決議とした。(2009年3月上旬のことである)


 c)実情(経緯)を知らない(確認しない)で指摘するところに村上密氏のデマが生まれる。

 さらに、私たちは村上密氏の語る「時間を稼」いではいない。

 私たち夫婦が教団事務所に呼ばれ「理事会判断を聞く事になった経緯」を知るに至ったのは、担当理事者とのメールのやり取りをして1週間くらい後の、3月30日のメールに添付された文書であった。初めて明かされた内容にとても驚いた。ここに記されていたことは、

  @「名張教会担任教師(津島氏)とその代理人と称する村上密氏が「名張教会問題における理事会議事録の閲覧請求を巡り、教団史上初めて教団に対し訴訟を行った」事

  A教団総会議上の総意として教団理事会と村上氏と教団監事の三者による協議が行われ理事会議事録閲覧ならびに一連の事柄を整理した合意書が作成された事

  B償い金は、津島氏とその代理人と称する村上密氏が「教団に対して理事会議事録閲覧請求裁判をした」その費用を理事会と山田で折半して、津島氏に支払うという事(山田は一連の問題の発端だからという理由で)

  Cシュタイナーについての問題も看過できなくなったと語りながら、その理由が示されていない事(1月に教団事務所に呼ばれた時、担当理事者は、シュタイナーの事について、2008年4月に「問題ないし」との判断をした後、きちんと調査はしていないので答えられないと発言していた)

  D名張教会担任教師(津島氏)と山田と理事会が合意して到達したのがこの三者合意書であると主張している事(三者合意書は教団理事会と村上氏と教団監事の三者によって作成されたもので、山田はこの三者合意書の作成自体知らなかったし、受諾していない)


 鳴尾教会役員会は4月4日(臨時信徒総会前日)に臨時責任役員会を行った。

 上記(3月30日)の担当理事者からのメール文書を知り、また、私の妻(晃美)が「相手の気がすむような謝罪が無ければ、何度でも追いかけて責めてくるような合意書を作成する教団は恐ろしい」として、3月31日付けをもって教団理事会に、内科医からの診断書を添えて辞表を提出したことの報告を受け、会議が続けられた。以下に会議の要点を記す。

 「まず、三者合意文書の存在が初めて当役員会に明らかとなり、これを覆すことは不可能と判断。この三者は、鳴尾教会の立場というより三者にとって好都合な合意書を結んだにすぎない。特に山田師本人の知らないところで償い金を支払う契約は常識では理解できない。
 
 2008年4月の理事会判断は一連の問題は解決済みと思われたが、津島氏・村上氏が強硬に自分の意見を主張し続ける事で、理事会に山田師の責任を追及。もはや負いかねる責任としか言いようがない事で晃美師が辞表を提出した。

 謝罪が求められ続けるだけでなくエスカレートしており、こちらに関係のない裁判費用を償い金として要求してくることを考えると、転任して問題が解決するはずも無く、転任先でも必ず支払いが要求されるであろうし、お金を払ったら最後、謝罪した以上の罪状書きが山田師夫妻について回る。

 担当理事者は正当な謝罪の内容を答えられず、教会員はシュタイナーの教えなど聞いた事さえないのだから、異端云々については山田師夫妻を貶めるための口実・中傷の類で、全くの枝葉の事である。

 以上の分析を踏まえ、これ以上の教団残留は得策ではない、と判断。明日の臨時信徒総会を開催し、離脱の件を諮る事とする。もし、可決しなかった場合は、役員は総辞職することとする。また、離脱が可決した場合には、山田師夫妻を招聘する議案を提案し、牧会を継続する。」

 このようにして、鳴尾教会の臨時信徒総会は開催され、教団離脱を審議するに至ったのである。


4.村上密氏の発言は、やはり「推測による断定と断罪」を繰り返す

 1)信徒を「除名」や「切捨て」た事はない。
 総会無効確認訴訟に絡む信徒を「除名」にしたり「切り捨てた」りした事はない。この事についても、以前にブログで書いた通りである。村上密氏は、自身のブログの読者に対して「山田は悪い者だ」という印象を与えようとデマを語っている。>

 そして、まだ「除名」だとか「切り捨てた」というような言い方をして、現在の鳴尾純福音教会に通っている信徒にレッテルを貼るのは問題である。村上密氏には理解できないのであろうか?

 鳴尾教会は教団離脱反対信者に対して、戒規ゆえの「別帳会員」としている。それは、決して「裁判をしたから」というのではない。この事はすでに語っている。彼らが戻って来たいということであるならば、時間はかかるであろうが、正会員として戻ることができる。

 アッセンブリー教団理事会(執行部)は私たち夫婦を一方的な論理展開で「除名に相当する解任」としてまさに「切り捨てた」が・・・。

 この理事会からの処分についての対応も社会的におかしなものと私は考えている。私たちはこの処分が出される2年も前に、期限を切って「〜〜までに応答がない場合には、辞表を受理したものとする」と教団理事長に辞表を提出した。応答は2年間、全く無かった。そして、この処分が出される何ヶ月か前に理事者が来て、(要約すると)「あなた方夫妻に対する処分を決めるに当たって、出て行かざるを得なかった信者たちに(お金の)支援をしてほしい」と言ってきた。当然お断りした。そして出てきた処分があの内容であった。ここでも「お金なのか」とあきれてしまった。

 処分通知が後日送達され、私はすぐに、この処分について、すでに辞表は2年前に提出し理事会が全く応答しないことをもって辞表は受理でありこの処分は無効であること、また、処分内容(理事会が処分の理由として挙げてきた全ての点)について、事実と違うことを理由に異議申し立ての書類を提出した。・・・反応は無いのは分かっていたが。


 改めて言うが、私たちは離脱反対信者を「切り捨て」はしない。むしろ、村上密氏が離脱反対信者に対して、山田や鳴尾教会役員会との対話の機会を持たないように(手紙で)指導して分裂させ、「切り捨て」られたように仕向けたのではないか。「話し合いをする時間を与えない」というのはカルトの手法であり、これは非常に問題だといってよい。このような事態に持っていった村上密氏の責任は重い。教団理事会(執行部)も同じように、山田並びに当役員会を「悪者」とし「自分たちは正義を行っている」かのような圧力をもって、行動をしてきた責任は重い。(信者個人の意思で決めた事に対してとやかく言うつもりはないが。)


 むしろ、離脱反対信者を指導すると言う点から見るならば、村上密氏並びにアッセンブリー教団理事会は、偽りをもって裁判をした信徒に対して「信仰者として歩む者が、公の場で偽証の訴えを起こすことは良くない」と、しっかり指導したのか? と言いたい。 偽証の罪の問題。すでに書いていることだが、離脱を決議した臨時信徒総会の内容は、こちらから録音したものを裁判所に提出して、訴えが偽りであったことが明らかにされている。 偽証に対して「彼らは可哀想だから嘘をついても仕方がない」とか、「山田を処分してこの件は蓋をしてしまえばもう関係がない」となるならば、神様の教えに生きるなんてことは吹っ飛んでしまう。実に危うい教団であると私は思う。


 (2)ホームページの開設は、村上密氏が口を出すことではない。
 ホームページに関しては内部のことであって、村上密氏が口を挟む事ではない。「外から、教会活動を知られることを避けてきた。」とか「弁解がましい記事だけをブログに掲載」など村上密氏自身の推測による断定の言葉でしかない。

 ちなみに、この「鳴尾キリスト福音教会から皆様へ」は「推測による断定と断罪」を繰り返す「村上密」ブログや「現代の風景 - 随想 吉祥寺の森から」と「神々の風景」というブログで、鳴尾キリスト福音教会(あるいは山田)に関して誹謗中傷をしているブログ主、その他、パワーハラスメントをしてくるアッセンブリー教団理事会、偽わって裁判をしてきた教団離脱反対信者による、様々な「根拠の無い(真実が曲げられた)デマ文章」に対して、その反論を示すブログ記事である。 当然、こちらはこちらの主張がある。それに対する反論もあるだろう。であるならば、しっかりとした「根拠のある反論」を示して記事を書かなければ、やっぱり「デマ文章」になってしまうし、読者の共感も得られない。 ゆえに、このブログの記事は「弁解がましい記事」ではない。 むしろ「弁解がましい」のは、「根拠をしっかりと示さず自分の言いたいことだけを記す」村上密氏の文章である。 村上密氏は、訴えられたことをしっかりと確認せず、また単なるうわさや小耳に挟んだことを「鵜呑み」にして記事にする傾向がある。山田に対する誹謗中傷に類する文章が最たるものといっていい。(結局、山田に対するデマ文章の根拠というのは、「自分に反抗した山田」に対するイラつき、恨みが根底にあるのだろうと推察する。これは、吉祥寺のブログ主にも言えることである。)


(3)村上密氏の発言は、今や気持ちが悪い。
 村上密氏は、山田が「村上氏は関西教区倫理規定に反している」と言っている事に腹立たしさを感じているのか? この点について村上密氏は “やけにしつこい”。この事についても以前にブログに書いた通りである。

 また、「7年半一生懸命に汚名を挽回をしようとしたが、成功しなかった」とか、「山田夫婦を問題視する記事で溢れている」とか、「賢明な人びとは教会訪問を避けた」とか、「牧師の問題を明らかにして、惑わされないようにすることには成功した」とか、全て、「村上密氏自身が仕組んだ」ことに対する「自己の満足」を語っている個人的な意見や感想に過ぎない。いずれにしろ、根拠無く読者をマインドコントロールする手法を用いて誘導しているデマである。 村上密氏の心に問題ありと考える。(性質(たち)が悪い。)


 ちなみに「汚名を挽回」という言い回しは国語の上ではあまり使われない。「汚名は返上」するもの。もしかして「名誉を挽回」と言おうとしたのか?


 最後に「シュタイナーに関する事を意図的に避けている」と語るが、これも村上密氏の勝手な推測の言葉であり、「デマ」である。 以前にこのブログに書いた通りである。私たちは、伝統的「使徒信条」を礼拝ごとに告白し、イエス・キリストを救い主として信じている。 当然、シュタイナーによって立つ教会ではない。ゆえに、シュタイナーを語る必要がない。


 また、「シュタイナーを信奉する友人の園長夫婦」というが、彼らはキリスト者であって「シュタイナーを救いの道」と考えていない。もし「シュタイナーを救いの道」と考えているならば、園児の親をアッセンブリー教団の教会に導いて洗礼に至るまでお世話をするわけがない。 ここにも村上密氏の主観が入っているし「推測による断定と断罪」が繰り返されている。


 いい加減、自分が「推測による断定と断罪」を繰り返しているという間違い(罪)に気がつかないものか。


 人の話しをしっかりと聴いていない(以前に書いたブログ文章を読んでいない)村上密氏。これ以上ブログに書いても恥をさらすだけだ。



 鳴尾キリスト福音教会については以下をご覧いただきたい。

 鳴尾キリスト福音教会 http://www.naruogospel.com/
 
 人生で悩んだ時に読む言葉 https://naruo-gospel.com/


posted by Naruo at 00:31| 日記 | 更新情報をチェックする
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