2015年09月29日

山田に対するアッセンブリー京都教会 村上密氏の発言

 村上密氏が私(山田博)の言葉に反応して文章を書いている。(「山田博氏はどこに立っているか」(2015年9月15日付)
  読む方々に誤解が生じないように、反論をしておく。


1.村上密氏の記事には、その発言の根拠となる言葉がない
 

  この村上密氏の文章の最後で「この記事は過去にあった事実と発言に基づいて書いている」というが、この発言は村上密氏自身の立場から考え出されたブログ文章でありデマが存在していることをお伝えする。そして、「村上密氏の文章にはデマがある」からこそ、この「鳴尾キリスト福音教会から皆様へ」のブログが存在しているといってよい。


@ 「教会員を情報操作した」という根拠がない。

   教会員を情報操作した証拠はどこにあるのか?村上密氏は語っていない。

  教団離脱反対信者は「山田が情報操作した」として結果的に裁判を始めた。しかし、教団離脱を決議した臨時信徒総会の録音したものを山田が裁判所に提出したことによって、教団離脱反対信者が嘘をついていたことが明らかになった。総会で情報操作が無かったことが裏付けられたのである。(この事実はこのブログで何度も語っていることである。)だからこそ、教団離脱反対信者は裁判に勝つことが出来なかったのである。


 むしろ、裁判をあおったのは誰か?それは、村上密氏である。 そして、「山田は悪いやつだ」と信者の中に深く思い込ませたのも、村上密氏である。

 村上密氏は「名張教会が甚大な被害を受けた」と何度も教団内で語ってきた。(これは私の想像だが、村上密氏は離脱反対信者に対しても同じ言葉で、山田は悪い者だと信じ込ませたのではないか)


 「甚大な被害」とは何か?その内容を離脱反対信者は知らされているのか、また、甚大な被害というがそれを防ぐことが出来なかったのかという質問をしたのか?村上密氏はたくさんの文書を教団内に配布してきたが、その中で「甚大な被害」の内容を語っていない。


  そう考えると、信者に対して「情報操作した」のは山田ではなく村上密氏である。そして、村上密氏流に語るならば、村上密氏のブログ自体がデマであり読者に対する「情報操作」となっている。


 ここで注意したいのは、山田が「村上密氏のブログ自体がデマであり読者に対する「情報操作」」と発言するのは、以前から語っているように「山田並びに当教会に関係する村上密氏の発言」という限定した範囲の事である。村上氏は多くの事件と絡んでいるので、当教会とは別の事件に関係する村上氏の発言について、私は全く知らない。よって、この事を前提に読んで頂きたい。



 A 「責任逃れをした、卑怯な人間」という根拠がない。また、読者には分からない。

  一体、山田は何について「責任逃れ」をしたというのか?また、何をもって「卑怯」と言えるのか?ここも村上密氏は語っていない。


 これは村上密氏の単なる感情的な発言であり、「山田を悪者」にしようとする情報を読者に与えようとして語ったものである。


 B 「日本基督教団に加入するとしたら、信仰的転向と言える変化」といえる根拠がない。

 村上密氏は日本基督教団がどういう教団であるか、全く理解していない。
それとも、あえて読者をある方向へ誘導しようとしているのか。


 そして、自分たちが私たちに対して何をしてきたか自覚すらない。


 ペンテコステと主張している村上密氏をはじめアッセンブリー教団理事会が、聖霊の麗しさ(ペンテコステの恵み)も吹っ飛ばして、冷静に話し合う事も出来ず、最後は人間的なパワーハラスメントで山田を排除し、さらには鳴尾キリスト福音教会の信者に対して心の傷を与えた“そのペンテコステに” まだ、「こだわれ!」とういのか?よく言えたものである。 全く「井の中の蛙」と言わざるを得ない。


 しかしながら、今まで信じてきた信仰を変える事は出来ない。それは混乱をもたらすからである。しかし、私たち夫婦は、教会というものは旧約時代からの神の民の歴史(信仰)を担うものとして、また、教会が強固に発展していくために、いずれどこかの群れ(教団)に属す必要があるのではないかと考えている。


 しかし、その場合においても、教会全体における「合意形成」(話し合い)を忘れてはならないと考えている。


  第1に、私たちの今持っている信仰はキリスト教の各教派の中でどの位置に立っているのかなどの現状の把握をすること
  第2に、各教派の違いはどこにあるのかという学び
  第3に、各教派におけるメリットとデメリット、また会計面やその他の検討
  第4に、単立で良いのか、加入が必要かという次元での話し合い


 このような検討(話し合い)の中から教会としての合意形成ができて初めて、単立で進むのか、教団に入って教会運営を続けていくのかという道筋が必要であると考えている。



 C 「阪神間の牧師会を、着物を脱ぎ捨てるように、そこを去るだろう」という根拠がない。

 何でそんな発言ができるのか全く理解不能である。そして、阪神間の牧師会の事を知らない村上密氏が何を語ることができるというのか。


 ここにも村上密氏の「推測による断定と断罪」という悪い癖が出てくる。


 例えば、日本基督教団に加入すると阪神間の牧師会から何故に去らなければならないのか?


 日本基督教団が排他的というのか?神学や信仰的立場が違うから去る必要があるというのか?一体何をもって「去る必要があるのか」理由が分からない。

 阪神間の牧師会では、日本基督教団に関係する牧師もいるし、献金をもって支えて下さる教会もある。村上密氏はいい加減で失礼なデマを語っている。また、日本基督教団に対しても大変失礼な発言をしている。


 村上密氏の「推測による断定と断罪」発言は名誉を毀損する誹謗中傷であり罪である。


 アッセンブリー京都教会の役員会は、村上密氏に対して不穏当発言を注意勧告する立場にある。それが出来ないとするならば、アッセンブリー京都教会は村上密氏が嫌っている教会に成り下がっている。



2.「ある教会に対して起こした問題」と村上密氏は語るが、本当に問題だったのか?


 村上密氏はかつて山田の問題は「関西牧会倫理規定違反」と「シュタイナー容認問題」(2012年1月31日)といっていたが、冷静に考えてみるならば、両方とも村上密氏が騒ぎを大きくしただけで、問題ではなかったと結論できるのではないか。


  まず最初に「シュタイナー容認問題」については、今や「村上密氏が主張しているだけ」である。


 教団から最終的に山田に対して処分が下された時「シュタイナー容認」については、一言も言及されていない。村上密氏は山田が「シュタイナー容認問題で教団から追及され」ていたというが、これも村上密氏のデマである。


 教団理事会は「シュタイナー容認」に対して、早くから「誤認に基づくもの」とし、2008年には「問題無し」とする文書を私たちに送ってきた。


 これで終わりかと思った矢先(2008年11月)の教団総会に(教団監事の柏崎氏を始めその他、誰かが主張し、その言い分が通ったらしい)シュタイナーの問題が再度出された。2009年1月に私たち夫婦は教団理事者に呼ばれ、教団事務所で理事会判断を聞いたが、当時の担当理事者は、2008年の発言が覆ったことに対して証拠を挙げることなく「ちゃんと調べていません」とだけの発言であった。「容認の事実は無かった」のである。結局、大きな声を張り上げていたのは村上密氏だけであった。村上密氏は「山田はシュタイナーを容認してきた」と、いろいろなところで名誉毀損に類する誹謗中傷発言を繰り返しているが、その発言は間違っていることに未だに気づいていない。


 また、「山田が関西牧会倫理規定に違反した」というが、これも何回も語ってきたことである。教会を辞めてきた信者を、まだその教会の会員だからと拘束し、これをもって山田を責めてきた名張教会担任教師(津島氏)並びにその代理人と称する村上密氏と理事会は問題であると言わざるを得ない。(当時、この事を主張することが出来ず、相手側(津島氏)の強烈な主張によって、謝罪する事となったのであるが。)


 当教会の役員が言っていた事は本当だった。「謝罪したら、後々まで言われ続ける」と。村上密氏は「山田は謝罪した」だから悪者なんだと。「謝罪したのが証拠だ」と教団内外で語ってきた。理事会もそうである。


 しかし、何度も言うが「教会を辞めてきた信者に関わった」ということに対しては何も回答をしていない。そこがズルイところである。村上密氏や教団理事者は言うだろう「教会を辞めてきた信者であっても、正式な書式に則って教会に告げられていない」と。それは詭弁であるし、そう言うところに村上密氏のようなダブル・スタンダードで生きる人が生まれる。



3.そもそも、名張問題が出てきたのは、山田が名張から他へ転任になってから約5年も経ってからの事である。


 理事会は私たちの処分の内容の中で「教理上の問題を惹起した」というが、シュタイナーの幼稚園ができたのは、山田が名張から転任した後である。転任する前に、確かに幼稚園設立に関して「どういう幼稚園がいいのか」などを聞いて、幼稚園経営をしているアッセンブリー教団の教会に相談や調査もした。幼稚園経営者は時間を掛けて調べ考えた末、シュタイナーの教育方法が子どもの発達に良いと結論を出し、幼稚園を設立したのである。そして、キリスト者として、この幼稚園を通してキリストの愛を伝え、教会に結び付け、伝道の一つとしてやっていきたいという志があったのである。だから、幼稚園に通う子どものお母さんを名張教会に誘い、その方は洗礼まで受けたのである。


 それを、「(絶対に問題とするならば)シュタイナー幼稚園経営者である信徒を対処出来なかった」担当教師である津島氏や主管者である大塚氏の対応については棚に上げて、山田の責任だとし、挙句に「シュタイナー教育を志すものに洗礼を授けたから問題だった」など、約5年も経ってから問題視することなのか? 当時、牧会をしていた山田の周りには、何年も牧師をしてる(関西教区の)牧師方がいたのに、その時は何も対処せず、転任してから数年後、幼稚園経営者が教会を辞めたと言ってきて、慰め、再度、神の前に礼拝をしようと手を差し伸べた途端に、牧会倫理規定違反というのか? 責めてくる方がおかしいと言わざるを得ない。


 また、シュタイナー幼稚園ができた時、それは山田が正教師として按手礼を受けるずっと前、神学校を卒業し、伝道者になって数年の時の話である。だから、当時は「主管者」という、伝道者を助け教会を主に監督する者が教会のトップにいた訳である。シュタイナーが問題だと感じたと言うならば、主管者の大塚氏は何をやっていたのか? そこはまったく問題にされないのである。シュタイナー幼稚園から導かれた方の洗礼を授けたのは主管者である大塚氏である。(村上密氏や教団理事会がこんなに事を大きくしたからには、)主管者である大塚氏がいくら「私は知らなかった」と言ってもそれは嘘。山田だけが問題だと言うのは「団体としての倫理観の低さ」を示すものである。


 約5年である。山田が名張教会から別の教会に赴任して、名張教会に新しい伝道者が来る。新任の牧師は、1年は教会の内情など分からないことばかりで終わるだろう。その間、主管者の大塚氏はシュタイナーのことについて何も指導していないし、危険ならば排除も出来たはずであるがその行動もない。そうこうしているうちに2年目が過ぎた。3年目に新任の伝道者が結婚し、名張教会は津島氏夫妻と主管者である大塚氏で牧会がなされたのである。一体何をやっていたのか? 実におかしな話である。 そして、このような点をも考慮に入れず、また中立な立場での調査をしないで、山田をパワハラで処分して終わりにする教団理事会は、明らかに瑕疵(過失)があると言わざるを得ない。


 関連として。村上密氏は以前ブログの中で、幼稚園経営者が「山田を物心両面で支えた」人物であると書いていた。さも山田がシュタイナーに傾倒しているかのような書き方がしてあったが、あの言葉もデマである。幼稚園経営者とは牧師と信徒との関係であり、礼節ある関係であった。馴れ合いの関係はない。



 鳴尾キリスト福音教会については以下をご覧いただきたい。

 鳴尾キリスト福音教会 http://www.naruogospel.com/
 
 人生で悩んだ時に読む言葉 https://naruo-gospel.com/


posted by Naruo at 11:23| 日記 | 更新情報をチェックする
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