2016年07月22日

アッセンブリー京都教会 村上密氏の「デマによるマインド・コントロール」に注意!(1)

以前、このブログで村上密氏に対し「これ以上ブログに書いても恥をさらすだけだ」(2015年9月9日付け)と文章の最後に書いたが、そこまで読んでいない・・・のか?

 やはり自分が間違っていたから裁判 “にも” 負けたと認めたくないためか、自身のブログで頻繁に山田の悪口を書いている。


 ここまでくると、読者に対して「山田は悪いやつだ」「鳴尾教会には変な牧師がいる」とデマを配信し続け、読者を「マインドコントロール」しているとしか言いようが無い。


 あるところの文章に「マインドコントロール( Mind control)とは、他人の考えや情報をコントロールし、個人が意思決定をする際などに、特定の結論へと誘導する技術を指す言葉であると言われており、別名で「マインドコントロール理論」と呼ばれることもあるようだ」とあった。



 読者の「村上密氏に対する信頼の前提」は何か?


 多分 「村上密氏は多くの人を助けている。だから善良な人。そういう人はデマ(嘘)を言わない。そして、村上密氏が「あの人は変だ」と言ったら、“私が調べなくても”「あの人」は変だ」という思い込みがある。


 裁判を仕掛けてきた教団離脱反対信者(現在のアッセンブリー教団 鳴尾純福音教会(伝道所)に通っている信者)は、裁判の途中で「村上先生がいるから大丈夫よ!」と言って、法廷に入って行ったことを思い出す。


 その村上密氏に対する信頼に「根拠の明確さは吹っ飛んでいる。「あの村上密氏が言っているのだから」と。ここが危険なところである。特に「代理人」として村上密氏に依頼している場合は、依頼する側は村上密氏に頼り切って、自ら根拠を示し、良し悪しの判断することを止めてしまう場合がある。今回の教団離脱反対信者のように。



 村上密氏は今年に入って1月12日と6月27日の2回もデマによる悪口を書いている。「村上密氏のデマによるマインドコントロール」に陥らないように、(1月12日付け)「「除名に相当する解任」を受けた山田博・晃美夫妻のその後」と(6月27日付け)「鳴尾キリスト福音教会 NOW」について、後日、反論をする。



 さて、先日、全く面識の無い方から電話があった。内容を一言で言うならば「先生大変でしたね。村上牧師の発言に負けず、これからもがんばって下さい。」ということだった。


 その方が電話をかけてきた経緯はここでは語れないが、この方の言うには 「村上牧師のブログと鳴尾教会のブログを読み、最初は村上牧師の語っていたように危険な牧師夫妻がいるのだなぁと思っていたが、鳴尾教会のブログを読む中で、鳴尾教会と山田牧師(ママ)は根拠を挙げて反論しているのに対して、村上牧師のブログは根拠とする言葉が少なく、明らかに自分の言いたい主張だけで、単に中傷するだけ・・・。そう考えると、むしろ村上牧師の言葉は本当なのか?ということと、逆に山田牧師は長い間ずっと批判され、言い掛かりのようなことを受け続けて、大変な中にいらっしゃる」と。初めてこのような直接の言葉をいただき、本当に有難く、感謝な電話であった。


 私はこの方との話しの中で、このブログの第一義的な目的についてお話しをさせて頂いた。(「村上氏の発言にいちいち答えるのは、時間や労力がとても掛かります。大変迷惑な話しですが」との前置きをしながら・・・。)


 問題が起こった場合に、その原因となる背景は一方的、表面的ではなく、多面的である。そして、今回の村上密氏や全く面識も関係も無い吉祥寺のブログ主の、さも一緒にその場に居合わせたかのように語る言葉が真実だと思われ、一方の言葉だけが歴史に残ってはならない。 多面的に、すなわち両者の言い分が「根拠のある発言のもと」に残されなければならない、と。 そこから生まれたのがこのブログである。



 一番の問題は、村上密氏が「根拠を示さず」あるいは「物事を飛躍して」相手を非難していると言う点である。このことは、このブログで何度も語っていることである。そして、村上密氏がデマを書くので、こちらも間違った歴史が刻まれないように筆を取るわけである。 



 基本的な事として、牧師としてデマ(嘘。特に根拠が示されない事柄)は良くない。不穏等発言は注意喚起する必要がある。その役目を担うのは各団体の責任者である。今回の場合は、「アッセンブリー京都教会」並びに「日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団」の責任役員である。



 しかし、京都教会は、通っている信者の話では、仕方が無く何年も役員を同じ人がやっていたり、他からの脱会信者(村上密氏に恩がある人)が役員のほとんどを占めたり、村上密氏にものを言う人はいない。言わばイエスマンばかりという。


 現在、村上密氏は主管者ではないが、村上密氏の考えが新主管者を通してそのまま反映している。


 そう言えば、村上密氏は以前、鳴尾教会の責任役員は山田に対してイエスマンばかりだとなじったことがあったが、“ご自分こそ”がそういう立場になっている。



 しかも、今年の信徒総会では、役員である家族を不当に解任され、排除されたとして元役員がすごい剣幕で、現在の主管者である長澤氏に問いただす場面があったようだ。理由は、あまり公表されなかったようであるが、ただならぬ何かがあったようだ。話しの流れでは、役員が解任された時、教会内にはまだ、新教会規則は有効ではないという認識があったという。そして、旧教会規則には役員解任条項がないというのに、その役員に対して職務放棄を理由に役員会で議決、解任し、代務者を立てずに、役員会報告を信徒にしたという。(新規則では、解任には役員会と信徒総会での議決が必要とのこと。)

 
 これは明らかに教会規則違反である。


 村上密氏は自身のブログなどで「規則に基づく教会運営を」と公言しているにも関わらず、ご自分の教会で規則違反が起こっていると言うのはどういうことか。 まして、私たちに対して「信徒を傷つけた」風のことを言って誹謗中傷しているのに、ご自分の教会での「この役員」への対応はどう釈明するのか? おかしな話ではないか。 人様のことをとやかく言う前に、自分のことを正さなければならない。


 それにしても、あと、2ヶ月足らずで役員改選(信徒総会)というのに「職務放棄による解任」とは実に「配慮に欠けた対応」であると言える。


 「配慮に欠けた対応」とはどういうことかというならば、責任役員が欠けた場合、教会規則により「代務者」を選ばなければならない。しかし京都教会は、1名欠けた責任役員の代務者を「任期が短いから」と言う理由で立てなかったのである。 ということは、役員会は最後まで1名を欠いたまま行うということなのだから、わざわざ解任をしなくても良かったということである。 信徒の話では、解任させれた信徒(元役員の家族)は「解任」させられるほどのことをしたのか疑問が残ると言うのである。 これは明らかに元役員への報復的な措置と思われる。 また、役員会でいろいろあって、ショックを受けて休んだ(これが「職務放棄」とされた)役員に対して、「解任された人」と言うレッテルを貼り、さらに精神的に追い込んでいる。



 村上密氏のブログで、どこかの教会の教会監事が自殺したと言う記事が記載されている。その件に村上密氏は関わって事件の内容を知っているようだか、ご自分の教会でも自殺にならなかっただけで、似たような事件が起こっているではないか。



 京都教会は、村上密氏を含め少なくとも7人の牧師、伝道師、協力宣教師がいるようだ。そして、これらの人たちを教会の献金でまかなうわけだが、京都教会は教会を支える基本収入である“経常献金(什一(月定)献金と席上献金と感謝献金)”の約70%をこれら人件費で使い切っている。さらに、信者の話では、特別会計から別の名目で支払われているものを含めたら全体の80パーセントが人件費ではないかとも言われている。教会全体の収支に対してアンバランスだという役員がいてもおかしくないだろう。そして、それを語ったのが元役員である。経済が苦しくて人件費が経常献金の70%というのではない。1000万円以上もの収入に対して、少なくとも7人もの人を雇い70〜80%を使い切ってしまうのである。
(この元役員は新主管者(背後に村上密氏が支えている)に煙たがられたようだ。)


 働き人には確かに生活の保障が必要である。しかし、教会の財政健全化を提案している者に対して、教会は働き人に対する謝儀をしっかりと確保する、アンバランスであっても当然という前提で圧力をかけたら役員は引き下がらざるを得ない。まして、引退教師である津村昭二郎氏も、昨年それを発言したというから、信徒は何も言えなくなったであろう。責任役員は「正当性」を主張しているようであるが、伏せられた実態が存在している。



 また、村上密氏は宗教法人法をしっかり理解していないと考えられる。教団理事会は鳴尾教会が離脱する前に、鳴尾教会の主管者を山田から教団理事長に変更したと公表した。村上密氏は、その実態が無いと教団理事会をブログで非難したのであるが、何故に教団理事会が動くことが出来なかったか村上密氏は理解していない。教団理事会が動けなかったのは法人法第78条があって、山田に対し、強引に主管者(代表役員)職を解任することが出来ないことを“ようやく知った”からである。 村上密氏はこの法人法が有効であることすら認識できずに、理事会を非難しているのである。



 さらには、自身が主管者(代表役員)であったときに、教会規則を変更して、京都府知事に認証してもらったが、法務局に変更登記を怠り、新主管者のもと旧規則で信徒総会を宣言し行っていたと言う。 先の元役員の件で、その間違いに気づき、法務局に変更登記を行ったらしいが・・・。 元役員の発言が無ければ、アッセンブリー京都教会は、ずっと「旧規則で・・・」と教会運営が行われ続けたことだろう。


 しかし、宗教法人法をしっかりと理解している人であるならば「旧規則で信徒総会を」と宣言して行うこと自体、考えが間違っていることに気が付くはずである。 何故かならば、新規則が有効になるのは、知事の認証を受けた時点からであって、法務局に変更登記をしたか、していないかは、信徒会議には全く関係が無いからである。 このことも村上密氏は解っていなかったようだ。


 何よりも、変更登記を長期間ほったらかしにしていたと言うことが問題であろう。 宗教法人法によると、法務局への規則の変更登記は2週間(場合によって3週間)以内である。怠ると裁判所から過料(反則金:今回は軽微)が言い渡される場合がある。今回のアッセンブリー京都教会は、法人法第88条の9項に該当する処罰対象と考えられる。(内容によって、過料に処せられない場合もあるが。) その場合、過料は村上密氏ではなく、新しい主管者(代表役員)である長澤氏に課せられる・・・なんとも情けない話し、長澤氏には「お気の毒」な話しである。(なお、過料は代表役員個人に課せられるので、教会の経費で落としてはいけせません。)


 さらに考えると、新規則の変更登記が今年(2016年)の信徒総会の時点でなされていないと言うことであるから、昨年(2015年4月)に代表役員が村上密氏から長澤氏に変更になったことに対する知事への届出や法務局への変更登記もなされていないであろう。何故かならば、代表役員の変更登記をした時点で、新規則も変更登記しなければいけないと気がつくはずだからだ。もし、代表役員の変更登記がなされていなければ、変更登記後にまた、裁判所から過料が課せられる。(当然、長澤氏にである。)これが、法律を知っているかのように振舞ってきた村上密氏の実態である。


 宗教法人を持っている教会は特に注意しなければいけない。


 そう言えば、私が “教団を離脱する際に対応したアッセンブリー教団の理事者たち(*)”も宗教法人法に精通している人がいなかったのを思い出す。 例えば、教団理事長の細井真氏が文部科学省に審査請求をした内容(当ブログ2011年3月3日の記事参照)の「4.信者に対する公告及び教団に対する通知について」を見ると良く分かるが、法人法を理解していたら、こんな恥ずかしい請求(山田が手続違反をしているという請求)はできない。(ま、このような状態であるから、パワーハラスメントで迫ってきたのであるが・・・。)


   *(誤解がないように)アッセンブリー教団の“歴代の理事者”全員が法人法に精通
    していなかったと言うことではない。


 また、前任者の津村昭二郎氏は40年も教会を牧会し、神学校の法律の教師もしていたが、山田の悪口文書を、法人法を理解していない文章を書いて、多くの教職に送っていた。今から考えると、このような人が法律の教師だったのかと思う。その上、アッセンブリー教団は、神学校卒業年順に(精神的)上下関係(先輩が絶対的優位という関係)があった教団だったので、その名残で、圧力(パワハラ)をかけてくる牧師もいたことを思い出す。(特に年配の牧師間では。) 村上密氏自身がブログで、自教団は自浄作用が低いというのもここに原因があるのだろうか?


 さらに、村上密氏はブログ文章と矛盾する信仰?教理?があると私は考える。自身のブログ「困難に対する心構え」(2016年1月15日)で「神が知恵と力、助成者を与えて下さる、問題を克服させて下さる・・・自力の考えではなく、全能者(神)が助けてくださる信仰を持って取り組んできた・・・」と、神の名を用いて、とても読者の心をつかむような文章を書いているが、実際はどうであろうか?


 鳴尾教会の問題を考えるときに、


 @ 村上密氏に依頼した名張教会の担任教師並びにその担任教師に与(くみ)する信者は「山田がシュタイナーの踊りを教会で教えていた」とか「山田が背後で信徒と連絡を取り合い、名張の担任教師(津島氏)に対して中傷を続けた」と嘘の証言した。これを村上密氏は見抜けなかっただけでなく、嘘だとわかっても嘘を容認し、対処を怠った。


 A 私(山田)を訴えるために村上密氏に依頼した教団離脱反対信者も(当ブログですでに明らかになっているように)嘘の証言をもって裁判をしてきた。ここでも村上密氏は信者が嘘をついたとわかっても嘘を容認し、対処を怠った。


 B 更には、裁判を担当した京都の弁護士は、京都弁護士会から別件で「弁護士としての品位を失うべき非行に該当する」として、こちらの裁判で第2審の判決が出る1週間前に戒告という懲戒処分を受けた人物であった。


 これらが神の助けの中で行われてきた事なのか。私にはそうは思えない。「全能者(神)が助けてくださる・・・」ではなく、明らかに村上密氏自身の「自力の考え」、自己義が先行したからこその結果である。(自己義とは、村上密氏自ら「正義と自己義」(2015年9月11日付)としてブログで書いている。) 


 逆に聞きたい。一体どのような指導をすると信者は嘘を平気で語り、裁判に勝てるかのような錯覚を持つのか?一概に断定はできないが、もしかすると、ここに「村上密氏のデマによるマインドコントロール」があったのではないか?そう、言わざるを得ない。


 しかし、それぞれの団体の品位を保つために、村上密氏のデマ発言を止めなければならない。本人が、品位を落とし、デマを語っていることに気づいていないかもしれないからである。村上密氏は以前「アッセンブリー教団の危機」(2011年11月〜12月)と題して、ブログ記事を書いたがその中に「私は無実ではなく事実を書いている」と記しているが、きちんと根拠を調べないでそのまま相手を攻撃するからデマが生まれていると本人は気づいていない。あるいは、周りの注意する人の声が聞こえないほど心が狭くなってしまっているのか。いや、もっとこれは大きく想像を膨らませ「山田が大変迷惑だと感じているところに快感を覚えて」(笑)文章を書いているのかもしれない。 


アッセンブリー教団には倫理規定がある。そろそろ村上密氏に対して行動を起こす時期ではないか? そこに期待はできるのだろうか? 


 いずれにしても、村上密氏は、これ以上、自身のブログに私のことを書いても恥をさらすだけだ。


 鳴尾キリスト福音教会については以下をご覧いただきたい。

 鳴尾キリスト福音教会 http://www.naruogospel.com/
 
 人生で悩んだ時に読む言葉 https://naruo-gospel.com/




posted by Naruo at 17:34| 日記 | 更新情報をチェックする
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